mmasuda さんの日記
2014
8月
9
(土)
23:10
本文
『実作に勝る鑑賞なし』とは、平野謹三校長が後藤敬先生へ句作を奨めた際の口説き文句である。二〇一七年に迎える輔仁会百周年記念行事の予行演習として、同期会の貴重な場を借り句会を試みた。投句用紙が十七文字を記入する答案用紙のようなマス目になっていたので、上五・中七・下五を分かち書きする投句がいくつかあり、受験を髣髴させた。十四名が二十三句投句し、十七名が選句。天(一位)三点、地(二位)二点、人(三位)一点の合計で順位を決定。一席と二席は同点で十四点、三席は十二点、四席八点、五席六点であった。
たなばたにねんねんふえるねがいごと 山本みどり
齢を取ることによって人は成長し、予てより抱いていた望みは、少しずつではあるものの、叶うか諦めるか忘れ去ってしまう。望みは減るどころか増えていく作者の真摯な希望。死ぬまで消えることのない生存の証を七夕という季語へ委ね、平仮名十七文字へ結晶させた。
団扇より透かし見ゆるは祖母の笑み 鎌田摩樹
実景は作者の心にある。団扇をパタパタと煽ぐ。その敏速な動作によって見える団扇の向こう側に、かわいがってくれた遠くにいるお祖母さんの優しい顔が心に浮かんできた。なお、水団扇という水につけてから煽いで涼を取る団扇も夏の季語である。
金魚田へ映る躊躇ひ法隆寺 増田政己
放たれて三十回目の夏休み 野田敬一
十八歳で卒業してから、倍以上の年月が経った。「放たれて」という措辞は、閉塞がちな社会生活から己を解放したいという潜在的な欲求を孕んでいるのかもしれない。あと六年経てば十八歳の三倍生きたことになる現実。
子に投げし問ひ胸中にしぐれけり 平野謹三
子供たちへ投げかけた自分があるべき姿と思っていた問いかけは、果たして子ども達にとって、良いことだったのか、もう少し子ども達にとって良いことが考えられたのではないのか、自問自答する蟠りを冬の季語「時雨」へ托し、心情を顕わにした。
二〇一二年に発行した同窓会誌『輔仁』九十五号の「ここで一句」が超結社俳句集団【itak】のブログに掲載されています。
http://itakhaiku.blogspot.jp/2014/08/blog-post_8.html
たなばたにねんねんふえるねがいごと 山本みどり
齢を取ることによって人は成長し、予てより抱いていた望みは、少しずつではあるものの、叶うか諦めるか忘れ去ってしまう。望みは減るどころか増えていく作者の真摯な希望。死ぬまで消えることのない生存の証を七夕という季語へ委ね、平仮名十七文字へ結晶させた。
団扇より透かし見ゆるは祖母の笑み 鎌田摩樹
実景は作者の心にある。団扇をパタパタと煽ぐ。その敏速な動作によって見える団扇の向こう側に、かわいがってくれた遠くにいるお祖母さんの優しい顔が心に浮かんできた。なお、水団扇という水につけてから煽いで涼を取る団扇も夏の季語である。
金魚田へ映る躊躇ひ法隆寺 増田政己
放たれて三十回目の夏休み 野田敬一
十八歳で卒業してから、倍以上の年月が経った。「放たれて」という措辞は、閉塞がちな社会生活から己を解放したいという潜在的な欲求を孕んでいるのかもしれない。あと六年経てば十八歳の三倍生きたことになる現実。
子に投げし問ひ胸中にしぐれけり 平野謹三
子供たちへ投げかけた自分があるべき姿と思っていた問いかけは、果たして子ども達にとって、良いことだったのか、もう少し子ども達にとって良いことが考えられたのではないのか、自問自答する蟠りを冬の季語「時雨」へ托し、心情を顕わにした。
二〇一二年に発行した同窓会誌『輔仁』九十五号の「ここで一句」が超結社俳句集団【itak】のブログに掲載されています。
http://itakhaiku.blogspot.jp/2014/08/blog-post_8.html
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